錦ヶ丘
佐藤通雅さんが青葉区錦ヶ丘に住みはじめたのは、今から20年前のこと。その頃は宅地開発が始まってまだ日が浅く、「原野に住むつもりで来た」のだという。それが、「どんどん家が建って驚いているんです。今も造成中のところがいっぱいありますよ」。丘陵に沿って真新しい家が建ち並ぶ町を車で通り抜け、今日の目的地である月山池・サイカチ沼を目指す。
住宅街から細い道に入るとすぐに森が広がっていた。ところどころに「熊出没注意」の看板が設置されている。クマ除けの鈴は付けてきたものの不安がっていると、「もともとクマの家に人間が来ているのだから、クマにも言い分があるんですよ」と佐藤さん。
月山池・サイカチ沼
木々の間を1.5kmほど進むと池が見えてきた。手前が月山池、奥に広がるのがサイカチ沼。どちらも大正から昭和の初期に灌漑(かんがい)用に造られた溜め池だ。最近は釣りの名所として広く知られるようになり、週末になると多くの釣り人で賑わうという。
駐車場で車を降り、池のそばまで歩く。「ここはね、仙台では思いがけなくいいところなんです」と佐藤さんが言う。「錦ヶ丘に引っ越す前にここを見に来て、それでこの近くで暮らしたいなあと思ったんですよ」。以来、このあたりはお気に入りの散策コースだ。1日の多くの時間を短歌の創作や評論などの執筆にあてる佐藤さんだが、「ずっと家にこもって原稿を書いていると疲れるから、ここに来てぼんやりとする。そうすると気分が爽快になって原稿書きに戻れるんです」。
この日は紅葉を愛でるにはまだ早かったが、シーズンになると全山が色づき、それが水のおもてに映ってそれは美しいそうだ。そう聞いて、風景にしばし心を委ねてみる。静かだ。風が水面を揺らす。池のほとりに腰かけた佐藤さんが、「こうやって座って水を見ていると、自然は人間なんかいなくても十分やっていくんだなとつくづく思います」。それから、「なんだか人類が滅びた後を見ているような気もしてきますね。自然は人類が消えた後のほうがゆったりとするんじゃないですか」と語る。人類が滅びた後とは少し怖いが、こうしているとそのイメージが腑に落ちてくるから不思議だ。
佐藤さんに、短歌はこんなふうに景色を見ながらできるのですか? と尋ねてみた。「はじめはいい風景を歌にしようと思って歩いていたんです。だけど、すぐにはできないんですよ」との答え。そのかわり、と佐藤さんが見せてくれたのは「森の手帳」と表紙に記された小型のノート。ページをめくると、散策中に目にした風景や事物のスケッチと短い文章が記されていた。「歌をすぐ作らないかわりに、こんなふうにメモしたりスケッチしたりして、ためていくんです。時間をおいてから、それがヒントになって歌がぽっと生まれてきたりするんですね。なんていうか、歌になるまでには『醸成期間』があるんじゃないでしょうか」。
たくさんの言葉が無造作に発せられては瞬時に消えていくこの時代に、時間をかけて生まれ出てくる31音のなんと豊かなことか。水辺に身を置いて佐藤さんの話を聞きながら、さまざまな言葉のありようにも思いを寄せたひとときだった。
掲載:2016年12月15日
- 佐藤 通雅 さとう・みちまさ
- 1943年、岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。東北大学教育学部卒。宮城県内の高校に国語教師として勤務する傍ら、歌人、評論家として活動。1966年、文学思想個人誌『路上』を創刊し、現在136号まで発行。1989年から河北歌壇選者を務める。おもな歌集に『美童』(宮城県芸術選奨)、『強霜』(詩歌文学館賞)、『昔話』など。宮沢賢治や児童文学の研究も手がけ、『新美南吉童話論自己放棄者の到達』(日本児童文学者協会新人賞)、『日本児童文学の成立・序説』(日本児童文学学会奨励賞)、『宮沢賢治 東北砕石工場技師論』(宮沢賢治賞)ほか著書多数。震災詠の選を担当した歌集に『また巡り来る花の季節は 震災を詠む』、『震災のうた 1800日の心もよう』がある。