南小泉
東北各地の民具や仕事着といった庶民の生活史(生活文化)や、仙台七夕の歴史などを研究している近江惠美子さん。仕事柄、多くの土地を訪ね、それぞれに愛着もあるなかで、今回近江さんが歩くのは小学3年生まで住んでいた若林区の南小泉地区。現在、この一帯は公共施設や学校、住宅が建ち並び交通量も多いが、「私が子どもの頃はいちめん田んぼでした。通り沿いに何軒か家はあったと思いますが、車はほとんど走っていなくて、馬車が通っていました」と近江さんは振り返る。
警察官だった近江さんの父親が勤務していた交番や、一家が住んでいた地区を探したが、すでに住所が変わり、開発により当時の面影は何も残ってはいなかった。
そんなとき、近江さんが「これは昔からありました」という一本の木を見つけた。現在、聖ウルスラ学院英智小・中・高校の敷地内にある「法領塚(ほうりょうづか)古墳」にそびえるケヤキの大木である。学校の許可を得て、古墳を見せていただくことができた。以前、この場所には旧伊達伯爵邸(現在は太白区に移築・保存)が建っており、近江さんによれば「うっそうとした森のような感じだった」という。樹齢200年以上のこのケヤキは、その森の中でもひときわ立派な姿を誇り、近江さんの記憶に刻みつけられたのだろう。
南染師(そめし)町
南小泉から七郷堀に沿って西へと向かった。堀には豊かに水が流れ、田畑を潤すとともに地域の人々の目も楽しませている。「養種園(現在の若林区役所一帯にあった伊達家直営の農園)でバラ祭りがあって、小学生のとき写生に行きました。そこで描いた絵で賞をもらった記憶があります」「その頃、近所に金魚売りと南蛮売りがよく来ましたね。南蛮屋さんは独特で、板に算木みたいなものを取り付けて、それをじゃじゃっと鳴らして売りに来るんです」
――そんな話を聞くうちに、東北本線の線路を越え、南染師町に出た。藩政時代から続く染物業の町だ。現在も営業する3軒の染物屋のなかの1軒「永勘染工場」では、工場の奥で職人さんが仕事中。テキスタイルの研究も手がける近江さんは、職人さんに声をかけ、しばし話が弾む。昔と変わらない手仕事が息づいている様子に、「仙台らしいところが年々失われているなかで、こういう場所に来るとほっとします」。
舟丁
染工場を後に、七郷堀に沿って舟丁へ。「子どもの頃、舟丁に『南街(なんがい)劇場』という映画館があって、家族そろって映画を観に行きました。堀沿いに歩いて行ったり、父親の自転車に乗せられて行ったり」と家族との思い出が残る地だが、その跡地には近代的なビルが建っていた。
その向かいにある仙台駄菓子の「石橋屋」も、近江さんにとって思い入れがある場所。というのも、就職して初めて書いた研究論文が仙台駄菓子に関するもので、石橋屋に取材して詳しい話を聞くことができたのだという。いわば研究生活の入り口となった店を訪れ、「不思議なめぐりあわせを感じます」という近江さんの言葉が印象的だった。
幼い頃の記憶をたどりながらの今回の散策。すっかり変わってしまったものと、今もなお残るもの。その両方を感じることができた、充実したまち歩きだった。
その向かいにある仙台駄菓子の「石橋屋」も、近江さんにとって思い入れがある場所。というのも、就職して初めて書いた研究論文が仙台駄菓子に関するもので、石橋屋に取材して詳しい話を聞くことができたのだという。いわば研究生活の入り口となった店を訪れ、「不思議なめぐりあわせを感じます」という近江さんの言葉が印象的だった。
幼い頃の記憶をたどりながらの今回の散策。すっかり変わってしまったものと、今もなお残るもの。その両方を感じることができた、充実したまち歩きだった。
掲載:2014年6月13日
- 近江 惠美子 おうみ・えみこ
- 仙台市生まれ。東北生活文化大学名誉教授。東北をフィールドに、「民具」や「生活文化」の調査研究に携わる。おもに女性の「衣生活史」(仕事着)、「仙台七夕」など、庶民文化の掘り起こしと再評価に情熱を注ぐかたわら、テキスタイル(織物)作品制作も手がける。日本民具学会、民族藝術学会所属。おもな著書に『仙台七夕まつり―七夕七彩』((有)イー・ピー「風の時」編集部)、『仕事着―東日本編』(共著、平凡社)、『みやぎの女性史』(共著、河北新報社)などがある。