大年寺山
仙台藩第4代藩主・伊達綱村が寺の山門の間から浜の方向を見はるかし、「ゆりあげ」の地名に「閖上」の字を与えたという逸話が残る大年寺山。
この山の上に住む佐伯一麦さんも、毎朝起きた後に、あるいは執筆の合間になど、日に何度も仙台平野越しに海沿いの風景を眺めてきたという。
この山の上に住む佐伯一麦さんも、毎朝起きた後に、あるいは執筆の合間になど、日に何度も仙台平野越しに海沿いの風景を眺めてきたという。
2011年3月。震災の2日後、部屋の片付けや水汲みが一段落してふと窓の外に目を向けた佐伯さんは、見慣れた風景に違和感があることに気が付いた。海岸沿いの松林が「櫛の歯が欠けたように」まばらになり、沼地となったような土地が広がっている――。テレビなどの映像が入ってこない状況下で、自身の目で確かめた津波の痕跡だった。
井戸浜
この日は、大年寺山の東屋(あずまや)から雪にけむったり明るんだりする海辺を見遣(みや)った後、山を下り若林区の井戸地区に向かった。佐伯さんにとっては毎日遠望している地というだけでなく、幼い頃から幾度も足を運んでいる愛着のある場所だ。
「井戸浜のあたりは、自分が“海”というものを知った一番最初の土地です。子どもの頃はカニ取りをしたり、高校の頃は水泳部だったのでランニングしに行ったりしましたね」
井戸地区のかつて家々や田畑があった場所には、雪原が広がっていた。雪を踏みしめながら、「このへんにはハマナスとかクルミなど染めくさになるものがたくさん生えていて、連れ合いは草木染をやるので、よく来ていたんです」と佐伯さん。「それに、防潮林の松だけじゃなくていろんな木がある。桜が多くてきれいなんですよ。海辺の桜。山桜でね。鳥も多い。前に来たときはキツツキの種類のコゲラなんかがいました」
地面の雪に目をやると、何か動物の足跡だろうか。小さいが、確かなかたちが点々と残っている。
井戸地区のかつて家々や田畑があった場所には、雪原が広がっていた。雪を踏みしめながら、「このへんにはハマナスとかクルミなど染めくさになるものがたくさん生えていて、連れ合いは草木染をやるので、よく来ていたんです」と佐伯さん。「それに、防潮林の松だけじゃなくていろんな木がある。桜が多くてきれいなんですよ。海辺の桜。山桜でね。鳥も多い。前に来たときはキツツキの種類のコゲラなんかがいました」
地面の雪に目をやると、何か動物の足跡だろうか。小さいが、確かなかたちが点々と残っている。
荒浜・貞山堀
井戸地区を後にして、荒浜へ。
「仙台だと、荒浜の深沼海水浴場に行くにはその前に貞山堀を渡らなくてはならない。海に出る前に小さい流れを越える、ということが身体に染みついているから、他の土地の沿岸部に行くと、“急に海が現れる”という感じがします」と佐伯さんは言う。そういえば、島崎藤村は仙台にいたときによく荒浜を訪れたと書いているけれど、貞山堀のことには触れていないね、という話を興味深く聞きながら、貞山堀にかかる深沼橋を渡る。
佐伯さんは自著『川筋物語』で広瀬川の上流から下流までを書いたので、次は貞山堀のことを取り上げたいと長年考えてきたという。震災の後、かつての貞山堀の風景はまだ戻ってはいない。「またここを小舟が行き来するようになるといいね」と佐伯さんが言う。
「仙台だと、荒浜の深沼海水浴場に行くにはその前に貞山堀を渡らなくてはならない。海に出る前に小さい流れを越える、ということが身体に染みついているから、他の土地の沿岸部に行くと、“急に海が現れる”という感じがします」と佐伯さんは言う。そういえば、島崎藤村は仙台にいたときによく荒浜を訪れたと書いているけれど、貞山堀のことには触れていないね、という話を興味深く聞きながら、貞山堀にかかる深沼橋を渡る。
佐伯さんは自著『川筋物語』で広瀬川の上流から下流までを書いたので、次は貞山堀のことを取り上げたいと長年考えてきたという。震災の後、かつての貞山堀の風景はまだ戻ってはいない。「またここを小舟が行き来するようになるといいね」と佐伯さんが言う。
海水浴場まで歩き、慰霊の塔に手を合わせる。真冬の海風のなか、その傍らにスズメが数羽飛んできて止まったのを、佐伯さんが見つめていた。
帰りぎわ、佐伯さんは暮れかけた空を見上げて「七夜(ななや)の月が出ていますね」と言った。この日は旧暦でいうと12月7日。震災の日(旧暦2月7日)の夜も、この七夜の月が地上を照らしていたのだという。佐伯さんは言葉を続ける。「町の様子や人々が暮らす環境は刻々と変化していく。けれども、人間が仰ぎ見る月は昔と変わらない。そういう変わらないもののなかでわれわれは生きているということを感じていたいです」
月の満ち欠けをあと幾めぐりか数えれば、春がやって来る。
帰りぎわ、佐伯さんは暮れかけた空を見上げて「七夜(ななや)の月が出ていますね」と言った。この日は旧暦でいうと12月7日。震災の日(旧暦2月7日)の夜も、この七夜の月が地上を照らしていたのだという。佐伯さんは言葉を続ける。「町の様子や人々が暮らす環境は刻々と変化していく。けれども、人間が仰ぎ見る月は昔と変わらない。そういう変わらないもののなかでわれわれは生きているということを感じていたいです」
月の満ち欠けをあと幾めぐりか数えれば、春がやって来る。
掲載:2013年3月15日
- 佐伯 一麦 さえき・かずみ
- 1959年仙台市生まれ。仙台第一高等学校卒業後に上京し、週刊誌の記者や電気工などさまざまな職業を経て作家となる。おもな著作に『ショート・サーキット』(野間文芸新人賞)、『ア・ルース・ボーイ』(三島由紀夫賞)、『遠き山に日は落ちて』(木山捷平文学賞)、『川筋物語』、『鉄塔家族』(大佛次郎賞)、『石の肺』、『ノルゲ』(野間文芸賞)、『芥川賞を取らなかった名作たち』、『往復書簡 言葉の兆し』(古井由吉との共著)など。近著に『還れぬ家』。「河北新報」夕刊(毎週金曜日)に「月を見あげて」連載中。仙台市在住。