志賀:
私は震災前(2008年)に宮城に引っ越してきたのですが、震災後にせんだいメディアテークで写真の展覧会「螺旋海岸」(https://www.liekoshiga.com/works/rasen-kaigan/)をやることになったんです。その時に、当時はメディアテークの学芸員だった清水チナツさんと出会いました。震災直後から、メディアテークには「わすれン!」(3がつ11にちをわすれないためにセンター)(https://recorder311.smt.jp/)が開設されていて、そこに当時スタッフをしていた佐藤貴宏さんや長崎由幹君もいて、みんな震災後に出会ったんです。作品の撮影には東北大の院生(当時)だった菊池聡太朗君が手伝いに来てくれていて……みたいな感じで、ゆる~く知り合いはじめたんです。
北九州生まれのチナツさんと愛知出身の私は、外から来たもの同士、周囲や教育など、ありとあらゆる分野に対して抱えている問題意識が近く、頻繁に会うようになっていきました。当時からチナツさんが、民話採訪者の小野和子さんと、小野さんが顧問を務める「みやぎ民話の会」の活動に深く関わっていて、いつか小野さんの単著を出版したいと話していました。
2018年に、チナツさんがメディアテークを退職して独立したタイミングで出版の話が具体的に動きだしました。2019年から私は、『ヒューマン・スプリング』(https://www.liekoshiga.com/works/human-spring/)というシリーズの作品制作をしていて、その撮影を介してみんなで頻繁に顔を合わせるようになったんです。時には寝食も共にしながらの制作で、その過程で、身近な事柄から社会課題の話、自由や公共についてなど、とにかくたくさん話しました。それは、震災直後の雰囲気ともどこか似ていました。そして、東北をベースにしながら震災後に感じたことや、個々の学びを持ち寄って、なにか別の揺れ(エネルギー)に変換していきたいよね、というようなことをチナツさんと由幹君と話すようになりました。それがPUMPQUAKESの最初のアイデアです。その第1弾として、まずは小野さんの本の出版に踏み切ったわけです。
小野さんの本を全国の人たちに届けたいと思った時、ZINEや手製本のような形ではなく、しっかり流通の仕組みに乗せる必要がありました。そこで、PUMPQUAKESに版元機能も持たせることにして、2019年10月末にLLP(有限責任事業組合)PUMPQUAKESを立ち上げました。そして無事、チナツさんが主体となり、小野さんの著書『あいたくて ききたくて 旅にでる』を発行するに至ります。
本が納品されてからは、みんなで集まって、小野さんの本2,000部に販売のタグをつける作業をしたり、本屋さんと共同で出版イベントを企画したりしました。全国のさまざまな本屋さんやそこに集う読者の方たちと言葉を交わしたりすることで、自分たちで作った本がどのように読まれているのかという反応がダイレクトに伝わってきました。そういう手応えと手触りを直に感じられたのが良かったと思います。