| 事業名:聴覚障害のある人のパフォーミングアーツ活動活性化事業(2025年度) 団体名:さぐる・おどる企画 活動期間:2025年6月21日から2026年3月15日まで |
「共にある場」が地域に根づいていくこと—身体表現を通じて他者の人生にふれる
今回私が参加したのは、「2025年度文化芸術を地域に生かす創造支援事業(文化芸術と社会の連携推進事業)」に採択された「聴覚障害のある人のパフォーミングアーツ活動活性化事業」(主催者:さぐる・おどる企画)の一環として開催されたワークショップ、「ろう者・身体表現アーティスト南雲麻衣さんと『ダンス』に出会う」です(日時:12月20日(土)10時~15時30分、会場:せんだい演劇工房10-BOX[box-5])。
さぐる・おどる企画代表の渋谷裕子さんは、これまでも仙台市の助成事業に採択され、手話通訳付きダンスワークショップ「さぐるからだ、みるわたし」をご自身がファシリテーター(進行役)として実施してきた実績があります。今年度の取り組みにおいても、手話通訳付きダンスワークショップを継続されています。今回の企画は、渋谷さんが新たな取り組みとして、ろう当事者のダンサーをファシリテーターに迎えたワークショップを開催したいという思いから、ダンサーでありアーティストとして活躍する南雲麻衣さんを招聘し、実現したとのことです。
南雲さんがファシリテーターを務めるということもあって、今回初めて参加したという方も見受けられました。対象者は18歳以上の「聴覚障害のある人・ろう者・聴者」で、ダンスの経験は問わないとされています。当日の参加者は、バックグラウンドもダンスの経験の有無も実に多様でした。進行は手話で行われ、読み取り通訳(注)に加えてモニター字幕も用意されていました。モニター字幕は今回が初めての試みとのことでしたが、これまで渋谷さんが「さぐる・おどる企画」として、聴覚障害のある人も楽しめるダンスや身体表現の場を着実に積み重ねてこられたことがうかがえました。
(注)読み取り通訳:手話を読み取り、日本語音声にするもの。
南雲麻衣さんによるワークショップ—感情や人生を表現することを通して自己の表現に出会う
ワークショップは、午前・午後の二部構成で行われました。午前の部「体と頭をゆるめるウォーミングアップ」では、まず、南雲さんと参加者一人ひとりの自己紹介から始まりました。それぞれ手話と音声言語による通訳がなされます。次に、体全体で自分の名前の文字を表現するワークが行われました。他者の前で表現することは、同時に自分自身の表現と出会うことでもある——。その感覚を身体で実感するところから、ワークショップは徐々に展開していきます。

スローモーションでの追いかけっこ、海の中の生き物になりきる動き、風船と戯れるワークなどを通して、言葉を介さずに他者やモノとの距離感や関係性が立ち上がっていくプロセスを味わいます。個々に閉じられていた身体が無意識のうちに開かれていく経験でもあり、このプロセスの中で「体が勝手に動いている」という感覚に気づかされます。身体がその場に馴染んだところで、「風船を使って感情を表現してください」というお題が出されます。南雲さんに「何を表現したのか」を聞かれて説明し、それを見た参加者がどのように感じたかについて意見交換が行われました。
午前中のクライマックスでは、自分が生まれてから現在に至るまで(正確には、出発点も終着点も自分で決めてよいという指示でした)を、一本の線として紙に描き、その紙を参加者全員の前で見せながら、自分の人生を語る時間となりました。この時点では、「ダンスのワークショップなのに、なぜ人生を言葉で語るのだろう」と感じていましたが、その意味は午後のプログラムで明らかになりました。

他者の人生を踊る—「共にある場」が生起する
午後の部「創作&成果発表」では、午前中に線で描いた自分の人生を、今度は風船を使って身体で表現しました。個別に創作する時間の後、二つのグループに分かれて成果発表が行われ、発表後は、鑑賞したグループがそれぞれ感想を述べ合いました。
ここで興味深かったのは、表現している側のグループは、互いに無関係な人生の機微を演じているにも関わらず、鑑賞している側は、それをあたかも一つの「群舞」として構成されているかのように受け取っていたことです。午前中に語られたその人の人生の浮き沈みや感情を、目の前で繰り広げられる表現に読み込み、さらにそれぞれのバラバラな身体の動きを一つの舞台として意味づけていました。それは、たとえ直接交わらなくても、同じ世界を生きている営みそのものであるように感じられました。
続いて、各グループから一人ずつがペアとなり、今度は相手の「人生の表現」を模倣するワークへと続きます。その後、再びグループに分かれて発表が行われました。ここでとりわけ印象的だったのは、自分の人生を表現するときよりも、他者の人生を表現するときの方が、表現がより開放的で、かつ丁寧になるという現象です。表現される人生には、楽しい時期だけでなく、怒りや不安、悲しみといった困難な時期も含まれます。それでもなお、ペアの相手がそうした時期を大切に表現してくれる姿を目の当たりにし、自分自身を肯定されたような感覚が生まれ、参加者からは思わず「人生捨てたものではない」といった言葉が漏れました。身体表現を通して他者の人生に触れることは、言葉以上に直接的に、他者の存在を丸ごと受け止める経験なのだと感じました。それが確かな感覚として身体に刻み込まれることこそが、このワークショップでの大きな意義であったように思います。
手話で進行するワークショップの場から—ダンスの地平へ
以上がワークショップの概要です。渋谷さんの呼びかけにより、終了時刻を過ぎた後も、南雲さんを囲んでの座談会の場が設けられ、全員が輪になって尽きることのない対話が生まれていたことも、今回の企画の醍醐味の一つでした。そこである参加者から、「今日私たちがしたことはダンスなのか?」という根源的な問いも発せられました。いわゆる音楽とリズムにあわせた「ダンス」の概念には当てはまらないことこそが、今回のワークショップの核心だったのかもしれません。身体が表現を生み出していくそのプロセスこそが、まさに「ダンスと出会う」瞬間だったと思われたからです。
今回のワークショップは、聴覚障害のある人が文化芸術活動に、表現者としても鑑賞者としても参加する機会が依然として限られている現状に対し、情報保障が特別な配慮として「提供される」ものではなく、活動の場の「前提である」ことを、地域社会や文化芸術活動の中で問いかけ、根づかせていく試みであったといえます。同時に、これまでそうした試みを積み重ねてきた土台の上に、今回は南雲さんが「ダンス」という芸術の息吹を参加者の身体に吹き込んでくれたのでした。こうした取り組みが、地域や社会の中に「共にある場」を築いていく確かな足がかりとなり、芸術文化の可能性をさらに拓いていくことを期待してやみません。


