「宮城オルレ」(※)です。ハイキングといえば、どんなイメージが浮かぶでしょうか。山道、深い森を長時間歩くこと、そして「頂上まで行く」といった明確なゴール。でも、初めて宮城オルレを歩いたとき、もう一つの可能性があることに気づきました。それは、山ではなく町を知ること。人影のない森ではなく、人々が暮らす場所を歩くこと。そして、ゴールを目指すのではなく、ただ場所から場所へと歩くこと。つまり、町そのものを感じ、その雰囲気を味わうという醍醐味を知りました。
(※)オルレ:韓国で生まれた地域の魅力を伝えるトレッキングコース
Qこれと出会ったときのこと、出会ってからの変化などを教えてください
私の人生の楽しみのひとつは、親友と一緒にハイキングをすることです。ときには二人きりで、ときには他の友達2〜3人と一緒に。まだ行ったことのない場所でも、何度も訪れたことのある場所でも、おしゃべりをしながら歩く時間は、私たちの友情を象徴するものになりました。親友も私も、ハイキングを「冒険」として楽しんでいるのではないかと思います。そんな私たちにとって宮城オルレは特別な存在になったのです。
初めて歩いたのは、2019年の夏、奥松島コースでした。いつもより少し多めの6人で行きました。奥松島コースといえば、松島湾で最大の島「宮戸島」を巡るルートです。私たちは毎年、野蒜海岸に海水浴に訪れていましたが、オルレで歩いた宮戸島は、これまでに体験したことのない景色ばかりでした。縄文時代の遺跡を訪れたあと、誰もいない静かな海岸へ。少し崖を登って絶景を眺め、やがて少し荒れた林道へと足を踏み入れました。途中で道に迷い、知らない場所にたどり着いたりもしましたが、それも含めて、まるで不思議な長い散歩のような感覚でした。まさに冒険そのもの。「また行きましょうか?」と親友に聞かれ、「うん!」と、心から答えました。
それから、私たちはほとんどすべての宮城オルレのコースを歩いてきました。登米コース、気仙沼コース、そして新しくできた村田コース。それぞれの場所で、たくさんの素敵な思い出ができました。
登米では、地元の方から野菜をいただいたことがありました。気仙沼では、偶然カモシカに出会うという驚きの体験も。村田では、「龍島院」の住職さんからとても興味深いお話を聞くことができました。ここには、伊達政宗の七男・伊達宗高公の遺骸が安置されています。宗高公が17歳だったとき、大噴火がおこり、それを鎮めるために蔵王に登り、自分の命の代わりに噴火がおさまるように祈願したそうです。それで噴火がおさまりましたが、結局、宗高公は三年後に亡くなってしまったそうです。これは、村田町の伝説だそうです。
私たちが見たもの、感じたことは、今でもよく話題にのぼります。「あの場所、覚えてる?」「あのときはね…」と、まるで昨日のことのように語り合います。宮城オルレでは本当に多様な景色に出会えるので、その町ごとの個性をより深く知ることができたと感じています。そして、そんな思い出を特別な人と分かち合えたなら、楽しさはきっと二倍になるはず。これから歩く鳴子温泉コースでは、どんな出会いや風景が待っているのか、今からとても楽しみです。





