インタビュー

直して使い続ける仙台箪笥
そこから見えてくるもの

塗師・有限会社長谷部漆工 代表取締役
長谷部嘉勝

新たな家具を買い求める人がいる一方、明治期や大正期の仙台箪笥(せんだいたんす)を直して使い続ける人がいる。江戸末期に創業した長谷部漆工の12代目となる塗師(ぬし)長谷部嘉勝さんの下には、代々が手がけてきた箪笥の直しも持ち込まれることがあるという。明治、大正、昭和、平成、令和へと時代を超えてきた箪笥からは、持ち主の歴史や技法の変遷も知ることができる。仙台箪笥を使い続ける喜びは、どのようなところにあるのだろう。作る、直す工房から、その背景をうかがった。

都心へ、海外へ
受け継がれていく仙台箪笥

家業を継がれて約50年。箪笥の直しは、これまで何棹(さお)くらい手がけてこられましたか。

 そうですね、多いときで年に20棹近く直していたこともあります。昭和40年代は修理の仕事が結構ありました。その後は、年に5棹とか6棹ぐらい。今も工房に、塗り待ちの箪笥や、これから修理に入る箪笥もあります。

木工の直しが上がった仙台箪笥。あとは、塗りを待つばかり。

直しを依頼される箪笥は、いつごろ作られたものが多いのでしょう。

 箪笥自体を見ますと、主には明治時代ですね。「この箪笥、ひいじいさんのときに作らせてもらいました」「えっ、長谷部さんのところで作られたものだったんですか」といったやりとりや、「うちのおばあさん、長谷部さんのところで箪笥を作ってもらってお嫁に来たんです」という話も聞いたことがあります。旧家ですと、代々使い続けてこられた箪笥で「これは、ひいばあさんの家の家紋が入った箪笥」というのもありました。
 箪笥を使用されているお宅とのつながりが何代にもわたってあるというのは、あまりないんですけれども、一度直すと、2棹、3棹と直す方がいらっしゃいます。

依頼が多いのは、どの辺りの地域からですか。

 やはり仙台市内が主になります。あとは、仙台以北。箪笥の本数にすると、仙南よりは仙北の方が多いかもしれません。もともと仙台藩領が、北上や一関辺りまでになりますので。

箪笥を直しに出すきっかけは、何でしょう。

 主に引っ越しが多いと思います。家を移して、居住空間が変わったりして。「あそこに、あの箪笥あったよね」と直しに出すみたいな。あとは、結婚するお孫さんが持って行きたいとか。そういった、きっかけがないと直すまではいきません。金具が一つ取れたとしても、箪笥としては機能しますので。
 今は「仙台箪笥」と言いますけど、うちのおやじは「野郎箪笥」(やろうたんす)(※1)と言っていました。今でいう仙台箪笥を修理する流れが出てきたのが、民藝運動(※2)です。柳宗悦(やなぎ・むねよし)などが生活雑器の中に貴重なものがあるとして広まった運動です。箪笥の中で一番注目を浴びたのが船箪笥で、その次に見直されたのが仙台箪笥になります。高度成長期と重なる昭和40年代は、ほとんどそのままの形でのお直しでした。

(※1)野郎箪笥(やろうたんす)
横型の箪笥で、幅約4尺(約120cm)、高さ約3尺(約90cm)、奥行き1尺5寸から2尺(45cmから60cm)が標準。箪笥の上段に刀や裃(かみしも)が入る大きな引き出しがあり、下段右に片開き扉が付くのが典型的な構成。野呂箪笥とも書く。

(※2)民藝運動(みんげいうんどう)
暮らしの中にある美を慈しむ生活文化運動。ただじかに見て美しいと思ったものの多くが、無名の職人によって作られた実用品であることに気付いた思想家の柳宗悦と陶芸家の河井寛次郎、濱田庄司。それまでなかった価値基準を示すものとして、1925(大正14)年「民藝(民衆的工芸)」の新語を作り、民藝運動を始動させていく。

幕末から明治初期に作られた野郎型の仙台箪笥。鍵座が蔦の葉(つたのは)の形で、扉が下段に付いている様式が最初期を物語る。
直しに入る前の、大正期の仙台箪笥。二つ重ねと金具の形は、当時、東京で作られていた桐箪笥の形に影響を受けたもの。前面は、仙台箪笥の特徴であるケヤキで作られている。
紫外線が当たらなかった開き扉の中は変色しておらず、作られた当時に近い木地呂塗。

直すときも、箪笥の形を変えず、そのまま生かして。

 そうです。野郎箪笥の形をそのまま変えず、傷んだところを直すことがほとんどです。
昭和時代の高度成長期に作られた整理箪笥とか、3点セットと言われた洋服箪笥、整理箪笥、ベビー箪笥とかといったものは、ほとんどありません。主に野郎型を中心とした、古い形の箪笥になります。
 明治初期から中期にかけて、技術が一番発展した時の、いいものを作って海外にも出そうとした頃で。作り手も、木工の指物、金具、塗り、それぞれが切磋琢磨しながら、いいものを作ろうとした時代のものです。
 先月も野郎型の箪笥を直しました。ご実家が仙北にあった方で、老朽化した母屋を壊す、蔵も壊す、ということになって。蔵の中に、明治中期に作られた箪笥が20棹近くあったんです。それで、どの箪笥を残したらいいでしょうかと。

母屋や蔵が取り壊されても、箪笥だけ残ることがあるのですか。

 ええ、それで親戚が集まって、どの箪笥を直すかを相談されて。一番小さい3尺の野郎型は、東京のマンションにお住まいの方が持って行かれました。3尺は90cmちょっとの幅になります。「使えるように直してください」ということで、使えるようにだけ直しました。別の4尺の箪笥は、カナダのバンクーバーに送りました。

海外にも送られるんですね。

 はい。カナダの方には以前も、直さないままのものを1棹送っているんです。今度はちゃんと直したいということで、金具もすべて直したものを今回は送りました。カナダには今2棹あります。どちらも野郎型です。
 海外といえば以前、結婚してフランスに行かれる20代の方が「おばあさんの箪笥を持って行きたい」と言われて、直してフランスに送ったこともありました。

生活に溶け込ませることで
さらに醸成される愛着と誇り

仙台箪笥を長く使い続けるには、どんなお手入れをすればよいのでしょう。

 通常のお手入れは、化学ぞうきん等は使用せず、着古したTシャツなど綿の軟らかい布で乾拭きいただければ十分です。
 汚れが目立つときは、少量の椿油など植物性の油で磨いて、着古したTシャツなど綿の軟らかい布でしっかり拭き取ってください。
 常に使われている箪笥と、蔵に入っていたのとでは、光が全然違います。蔵に入っていますと、鉄材などがさびていますが、常に使っていると、さびはほとんどないですね。

使う方の住環境に合わせた直しを頼まれることがありますか。

 東日本大震災の10年前ぐらいから「現代の生活にも合うような箪笥にしてほしい」と依頼が入るようになりました。やはり生活スタイルの変化だと思います。
 形を変える直しで多かったのは、一つの箪笥を三つに分ける形です。野郎型の一番上の大きな引き出しに脚を付けてチェスト風にして。下の段は、一つは整理箪笥に。もう一つは金具を生かして扉だけの小箪笥にする形です。きょうだいが3人いらっしゃると、三つに分けた箪笥の「私はここがいい」と選んだり、いろいろですね。
 マンション生活の方だと、奥行きを詰めることが多いです。昔は1尺5寸の45cmが基準になりますけれども「マンションに入らないんだよね」と、サイズの直しが入る場合はあります。玄関先に置きたいということで、奥行き30cmにしてほしいといった要望も多いです。
 昔は3尺とか4尺とか、だいたいの大きさが決まっていたんですが、今は一つ一つ奥行きも違う、形も違うというので、その要望にお応えするには、木工をやる方がその注文に応じて作らざるを得ない、効率はすごく悪いです(笑)。
 現代生活に合う形や大きさ、じゅうたんにも合うように脚を付けたり、掃除ロボットが下に入るように脚の高さが10cm以上あるようにとか、仙台箪笥協同組合では、そういった部分にも気を配って取り組んでいます。
 リノベーションされたお宅にうかがうと、玄関先に置かれた仙台箪笥からスリッパが出されることもありますね。あとは、箪笥の引き出しの中に羅紗(らしゃ)を張ってほしいという方がいらっしゃって「何を入れるんですか」って聞いたら「ワインを入れる」と(笑)。その人その人の生活に合わせて使ってもらえるのは、うれしいことです。

脚付箪笥。野郎型の一番上の引き出しに脚を付けてチェスト風にアレンジしたもの。(写真提供:長谷部 嘉勝)

震災の後、直しに出された箪笥が多かったと聞きました。

 かなり多かったです。うちだけでも、めぼしいものだけで40棹近く。それで一人、お弟子さんを雇いました。社員3人とアルバイト1人、合わせて4人で本当に毎日毎日2年ぐらいかかって直しました。
 ただ、初めての経験として、海水に浸かった箪笥でしたから、塩を抜かなければなりませんでした。そのまま乾かしただけでは、塩水がなんとなく乾かないんですね。ぬるま湯で洗わなきゃならない。あと夏を越すとカビが発生して。その点では、だいぶ苦労しました。金具の部分も、鉄材が塩水に浸かると、かなり腐食が早いですから。金具も一度洗って焼き直して、漆を付け直ししました。

直しの依頼は、どのように入ってくるんですか。

 こちらに直接直しの依頼がある場合もありますし、組合を通して入る場合、あと木工の方から「塗り直しがあるんだけども」といった相談とか。総合での直しの依頼が主になります。
 木工、漆工、金工のそれぞれの職人が協力して一つの箪笥を作りますが、ある程度、自分でやらないと、その都度いろいろ持って行って頼むわけにはいかないので、ここでひと通りはできるようにしてあるんです。今はお作りになる方も、塗りも木工も金具もやっていますので。

もとの雰囲気を残しつつ
時代が分かる直し方に

直す工程を、教えていただけますか。

 うちに入ってきた場合は、まず金具を外します。それから、漆を落とします。乾燥した後、木工の直しが入ります。どうしても使っていると箪笥の端が欠けたりしますので、天板の欠けた部分や隙間が空いた部分を張り直す木工の直しです。
 その場合、元の箪笥をそのまま締め直します。どうしても木が縮んでいたりするので、全部をばらしてしまうと一回り小さくなってしまって、元の大きさにならないんです。
 扉や閂(かんぬき)も、ない場合は新しく作ります。昔は箪笥の側面を塗っていないものがほとんどですが、直しをする場合は、今の時代に合わせて側面も塗って仕上げるようにしています。金具のさび落としも、この工房でやっています。組合を通した場合は、金具師さんに行く場合もありますね。
 木工の直しが上がったら、漆を塗って、直した金具を付けて、お戻しします。直しにかかる期間としては、最低でも3カ月ぐらいはみてもらっているといったところです。

引き手の形も「蕨手(わらびて)」や「角手(かくて)」など、さまざま。形や太さに地域性や時代が表れる。

直すより買った方が時間も費用もかからないかもしれませんが、直しを依頼されるというのは。

 やはり今まで代々あったからとか、先祖のどなたかがお使いになっていたとか、それをお孫さんが使いたいとか、そういった部分でのお直しにですね。費用についても、野郎型を基準にしますと、そのままの形で金具まで直すと45万円から80万円くらいの間になりますので、ある程度こだわりがある方でないと、直しにはつながらないと思います。

刀の鍔(つば)を作る技術を用いた、大正期の金具。真ちゅうの流し込み象嵌により、家紋などの図柄が表現されている。

直す側として、心がけていることはありますか。

 もともとの雰囲気を残したいので、元の部材がくるっていても、ある程度直して使えるのであれば、その部材を使います。
 あと、塗りですと、その時代の塗りに近いような塗りにしたいと思っています。昔は「面黒(めんぐろ)」といって、箪笥の前面と縁に使う部材を変えて、縁を黒く仕上げる作り方がありました。例えば、前面にはケヤキ材とかクリ材とかを使って、縁はスギ材にして、縁だけ黒く仕上げる作り方です。スギ材なので木の木目がわかりにくい。スギ材とケヤキ材、クリ材を同じに塗るとスギ材は明るく見える。そのため漆を黒く塗る方が全体のバランスがより良く見えます。どうしてもスギ材だと欠けやすいんですね。
 今はほとんどが木地呂塗(きじろぬり)になっていますので、お客様のご要望をうかがって「面黒にしてください」という方には面黒に。「せっかく直すのであれば」という方には、前面がケヤキ材なら縁もケヤキ材に合わせて、木地呂塗に仕上げることもあります。

幕末から明治後期ごろまで用いられた「面黒(めんぐろ)」と呼ばれる工法。直す際には、丈夫で長く使えるように前面と縁の材質を統一して、木地呂塗で仕上げることもある。

直した箪笥は、ご自分でお客様に届けられるのですか。

 ほとんどが、そうですね。組合を通した依頼の場合は、組合の方がお届けします。
 お客様に届けたとき、見違えたその姿に「これ、うちの箪笥?」とおっしゃられるときもあります(笑)。

お直し前(写真提供:長谷部 嘉勝)
お直し後(写真提供:長谷部 嘉勝)

喜ばれるでしょう。直しに出された方から「新品のようになって戻ってきた」という声を聞いたことがあります。

 やはり直すのであれば、ちゃんと直したいですからね。木工も、塗りも、金具も、新品に近い状態に直したい。中途半端に直すと、どこかくるいがきますので。直さないのであれば、傷んだところだけを直して、時代が分かるような直し方がいいかと思います。
 木くぎを使っている明治時代のものであれば、木くぎで直します。鉄くぎを使うとさびて直しがきかなくなりますので。長く使い続けられるように、次の時代につなげる直し方をしていきたいですね。

掲載:2025年1月10日

取材:2024年7月

取材・原稿/大谷 美紀 写真/寺尾 佳修

長谷部 嘉勝 はせべ・よしかつ
仙台箪笥塗装部門の伝統工芸士、1860(万延元)年創業の長谷部漆工12代目。木工、漆工、金工の分業によって作られる仙台箪笥の中で、漆塗り部門を担当。さまざまな技法を身につけ、後身を育成。漆塗り加工だけでなく修理・再生も手がける。仙台箪笥協同組合の副理事長として、現代の暮らしに合うよう仙台箪笥の技法を用いたスピーカーを制作するなど、次の時代にも生きる技術の継承に向けた環境づくりも行う。初期の仙台箪笥、時代や地域によって異なる錺(かざり)金具などを、数多く収集。仙台箪笥の歴史的背景にも詳しい。