古山さんが生み出す作品は、単なる風景ではなく、そこに流れる空気や温度をも想起させる。その筆致や感性、描画技術は、これまでの経歴と“旅”で身に付けたものだ。
岩手出身の古山さんは、大学進学を機に仙台へ来た。小さいころから絵を描くことが好きで、大学卒業後はテレビアニメの原画マンとして活躍する。
「絵は独学なんです。学生の頃は美術部でもなかったし、誰かに習ったわけでもありません。当時のアニメ業界はノルマ制で、絵が上手くならないとお金がもらえなかったので、とにかく必死に勉強しましたね。構図や画面構成なども現場でだいぶ厳しく仕込まれましたよ。手加減のないダメ出しは辛かったですが、自分で世界を創り出す仕事が楽しかった。描いたものがテレビで流れて、それを喜ぶ子どもたちがいることが描き続けるエネルギーになりました」と振り返る。
その後、印刷会社を経て、イラストレーターとしてデザイン事務所に入社。大きな仕事を手掛ける機会も多々あり、求められるクオリティの高さが古山さんを次のステージに導いた。「現場が絵の先生でした」と話す。
画家としての転機は、デザイン会社を辞め独立してから3年後。多忙を極めたことで体調を崩し、仕事のペースを一旦リセットするよう医師から助言されたのだ。「そんな状況になると、自分の仕事を見つめ直すわけです。これまでお客さんから求められる絵を器用に描いてきたけれど、自分の絵とは何だろう、何を描きたいんだろうと。それで、スケッチブックをリュックに入れて、10日間のイギリス一人旅に出ました。旅する中で気に入った場所を描いていたら、自分の好きなものが見つかるかもしれないと思って」。
10日間の旅行中、古山さんはロンドンからイギリス本土最北端にある岬、ランズ・エンドまで、水彩画を描きながら旅をした。帰国後、その作品が貸しギャラリーオーナーの目に留まり、初となる個展を開催。それを機に、水彩画家としても歩み始めた。自身のアトリエへ「ランズエンド」と名付けたことからも、その旅と場所がいかに思い入れ深いかがうかがえる。
岩手出身の古山さんは、大学進学を機に仙台へ来た。小さいころから絵を描くことが好きで、大学卒業後はテレビアニメの原画マンとして活躍する。
「絵は独学なんです。学生の頃は美術部でもなかったし、誰かに習ったわけでもありません。当時のアニメ業界はノルマ制で、絵が上手くならないとお金がもらえなかったので、とにかく必死に勉強しましたね。構図や画面構成なども現場でだいぶ厳しく仕込まれましたよ。手加減のないダメ出しは辛かったですが、自分で世界を創り出す仕事が楽しかった。描いたものがテレビで流れて、それを喜ぶ子どもたちがいることが描き続けるエネルギーになりました」と振り返る。
その後、印刷会社を経て、イラストレーターとしてデザイン事務所に入社。大きな仕事を手掛ける機会も多々あり、求められるクオリティの高さが古山さんを次のステージに導いた。「現場が絵の先生でした」と話す。
画家としての転機は、デザイン会社を辞め独立してから3年後。多忙を極めたことで体調を崩し、仕事のペースを一旦リセットするよう医師から助言されたのだ。「そんな状況になると、自分の仕事を見つめ直すわけです。これまでお客さんから求められる絵を器用に描いてきたけれど、自分の絵とは何だろう、何を描きたいんだろうと。それで、スケッチブックをリュックに入れて、10日間のイギリス一人旅に出ました。旅する中で気に入った場所を描いていたら、自分の好きなものが見つかるかもしれないと思って」。
10日間の旅行中、古山さんはロンドンからイギリス本土最北端にある岬、ランズ・エンドまで、水彩画を描きながら旅をした。帰国後、その作品が貸しギャラリーオーナーの目に留まり、初となる個展を開催。それを機に、水彩画家としても歩み始めた。自身のアトリエへ「ランズエンド」と名付けたことからも、その旅と場所がいかに思い入れ深いかがうかがえる。
2009年に発表した画集『旅絵 広瀬川 小さな旅』は、古山さんと広瀬川をつなげるきっかけとなった作品だ。若林区荒町にあった森民酒造本家の社長と出会い、仙台で何か面白いことをしようと立ち上げた「廣瀬川美術蔵」。森民酒造本家は広瀬川の伏流水でお酒を仕込む唯一の酒造だったことから、古い仕込み蔵を会場に、在仙のガラス作家や染物作家と3人で、広瀬川をテーマにイベントを行うことになったという。「それまで、特に広瀬川を意識したことはありませんでしたが、自分なりにどう表現しようか考えたとき、A地点からB地点までをたどったイギリス旅のように、広瀬川の源流から河口まで歩いてみることにしました」。画集に添えた副題の「旅絵」とは、古山さんの造語。絵を通して、鑑賞者も古山さんが1年をかけて取材し、体験した広瀬川の旅を楽しむことができる。イベントでは、描いた作品を源流から河口まで歩くように展示した。
時間や季節、アングルによって、画集の中の広瀬川は豊かな表情を見せる。半円のアーチが特徴的な橋や鮎釣りを楽しむ人が描かれたのは、霊屋界隈。「霊屋橋がかかる広瀬川の風景がとても好きで、これまで何枚も描いてきました。河原に降りていけるので、川から橋を見上げるアングルを取ったのがこの作品。スケッチしていて、釣り人や河原で遊ぶ親子にもたくさん会いました。ここは広瀬川と地域の人の日常が見える場所です」。
源流から河口までを歩き、さまざまな角度から広瀬川を見るうちに、古山さんはあることに気づく。「川は、ただ水が流れているのではなく、周りを映し出す鏡のようなものだと思ったんです。釣り人がいれば釣りという漁を映し、母親と子どもが遊んでいたら、そこには家族が映り込んでいる。それがとてもおもしろいと思いました」。
時間や季節、アングルによって、画集の中の広瀬川は豊かな表情を見せる。半円のアーチが特徴的な橋や鮎釣りを楽しむ人が描かれたのは、霊屋界隈。「霊屋橋がかかる広瀬川の風景がとても好きで、これまで何枚も描いてきました。河原に降りていけるので、川から橋を見上げるアングルを取ったのがこの作品。スケッチしていて、釣り人や河原で遊ぶ親子にもたくさん会いました。ここは広瀬川と地域の人の日常が見える場所です」。
源流から河口までを歩き、さまざまな角度から広瀬川を見るうちに、古山さんはあることに気づく。「川は、ただ水が流れているのではなく、周りを映し出す鏡のようなものだと思ったんです。釣り人がいれば釣りという漁を映し、母親と子どもが遊んでいたら、そこには家族が映り込んでいる。それがとてもおもしろいと思いました」。
広瀬橋~旅立稲荷神社付近も、古山さんにとって印象的な場所。画集の中では、網を手に川をのぞき込むこどもたちの姿や、釣りを終えて土手を自転車で帰る少年の後ろ姿が描かれている。この土手に立つと見えるのが、伊達政宗が参勤交代の際に安全祈願をしたとされる旅立稲荷神社だ。「川が流れていて、神社があって、その脇に大きな木がある。その雰囲気が好きなんです。旅立稲荷神社について調べたら、参勤交代の際にここで足袋を履き替えて出発したそうなんです。“たび”にはそういう意味合いもあるんですね。当時、行列の中には、“面倒だな”と思いながら履き替えていた人もいたかもしれません(笑)。そんな景色を神社はずっと見てきたわけです。時を経て、今、同じ場所でこどもたちが遊んでいる。でも、水の流れは変わらない。そんな光景がなんだか不思議な気がします」。大学で歴史を専攻していた古山さん。絵を描きながら地域の歴史に触れる機会も多く、気になったことは調べるという習慣は学生時代から変わらない。
2013年に上梓した『子規と歩いた宮城「はて知らずの記」水彩紀行』は、正岡子規が『はて知らずの記』で訪れた場所に出向き、彼が詠んだ俳句や印象的な一文を抜き出して、水彩画と文章で表現した画文集だ。子規はこの書で松尾芭蕉の『おくのほそ道』の足跡をたどり、本書では古山さんが子規の足取りを追った。「この一冊をつくる過程で、新たな視点をくれたのも広瀬川でした」。執筆にあたって、古山さんは子規と同じように愛宕神社にのぼり、広瀬川を見下ろした。その瞬間、今まで感じたことのない感覚があったという。「映画のワンシーンのように、目の前の景色がみるみる間に子規が見ただろう昔の景色に巻き戻っていったんです。子規の網膜に入りこんで、明治期の仙台を見ているようでした。今のような高層建築はなかったでしょうが、広瀬川は同じように流れていたはずです。『はて知らずの記』に向き合った日々は、今で言う“聖地巡礼”に似ているかもしれませんね」と話す。
「自分にとっての仙台の象徴は広瀬川と言えます」と古山さん。2020年、古山さんはアニメーターの経験も生かして、約1分間のショートアニメーション『広瀬川~きみの翼になれたら』を完成させた。コロナ禍で多くの人が家に閉じこもっていた当時、少しでもものづくりを楽しんでもらおうと企画したものだ。SNSを活用して全国から参加者を募り、古山さんが描いた原画に色付けを依頼。それをパラパラ漫画のようにつなげ、息子の開斗さんがつくった音楽とともに構成した。このときも、テーマに選んだのは広瀬川だ。「1分間で何が表現できるか考えたとき、広瀬川を鳥の目線で描こうと思いました。これまで何度も歩いてきましたから、自分の記憶にある広瀬川をもとに原画に起こしたんです」。アニメーションでは、広瀬川の流れとともにカワセミが橋をくぐり、釣り人の脇を抜け、水中に飛び込み、また青空に抜けて海に出る。鳥の疾走感と同時に、川で遊ぶこどもや親子、土手を歩く少年の姿も描かれた。
「廣瀬川美術蔵での活動経験のおかげで、広瀬川のいろんな顔を知ることができ、広瀬川の恵みを感じることもできました。私が仙台を語るのに外せない場所です」。
「廣瀬川美術蔵での活動経験のおかげで、広瀬川のいろんな顔を知ることができ、広瀬川の恵みを感じることもできました。私が仙台を語るのに外せない場所です」。
今年9月には藤崎で世界の旅先で描いてきた作品を中心に個展を開催。今回の取材を受けて古山さんは、「じゃあ、個展に向けてまた新しい広瀬川を描いてみようかな」と笑った。
掲載:2026年9月29日
取材:2026年7月
取材・原稿/関東博子 撮影/寺尾佳修
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- 古山 拓 ふるやま・たく
- 岩手県出身。東北学院大学を卒業後、テレビアニメのアニメーターとしてキャリアをスタートさせ、印刷会社やデザイン会社に勤務。デザイン会社では、定禅寺ストリートジャズフェスティバルのメインビジュアルなども担当した。その後独立し、1994年にアトリエ「ランズエンド」を設立。1997年以降、仙台を中心に全国で個展を行い、『旅絵 広瀬川 小さな旅』『子規と歩いた宮城「はて知らずの記」水彩紀行』をはじめ、絵本や著書も多数発表。広告媒体や挿絵なども担当し多方面で活躍する。2026年8月に大丸東京店、9月に仙台藤崎で個展を開催するなど、精力的に作品を発表し続けている。
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古山 拓 ホームページ『atelier ARTIO』
https://www.artio.jp/ -
YouTube『広瀬川~きみの翼になれたら』
https://www.youtube.com/watch?v=LBq0WilMxBU

